CKDの合併症:消化器症状(食欲不振・嘔吐など)とその管理
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CKDの合併症:消化器症状(食欲不振・嘔吐など)とその管理
この記事は主に『Ettinger's Textbook of Veterinary Internal Medicine, 9th Edition』および関連資料の情報を参考に作成しています。

慢性腎臓病(CKD)の犬や猫では、食欲不振、吐き気(悪心)、嘔吐といった消化器系の症状がしばしば見られます。これらは動物の生活の質(QOL)を大きく低下させ、体重減少や栄養状態の悪化(悪液質)につながるため、適切な管理が非常に重要です。この記事では、CKDに伴う消化器症状の原因と管理方法について解説します。
1. なぜ食欲不振や嘔吐が起こるのか?(原因と病態生理)
CKDで消化器症状が起こる原因は一つではなく、複数の要因が関わっていると考えられています。
1.1. 尿毒症毒素の影響
- 尿毒症毒素とは?: 腎臓の働きが悪くなると、本来なら尿として排泄されるはずの様々な老廃物(尿毒症毒素)が体の中に溜まってしまいます。血液検査で測定されるBUNやクレアチニンもその一部ですが、実際には100種類以上の尿毒症毒素が存在すると言われています。
- 消化器症状への影響: これらの尿毒症毒素(特にタンパク質の分解産物であるインドキシル硫酸やp-クレシル硫酸など)が、脳にある化学受容器トリガーゾーン(CTZ)を刺激し、それが嘔吐中枢に伝わって吐き気(悪心)や嘔吐を引き起こします。
- 腸内環境との関連: 尿毒症毒素の多くは腸内細菌によって作られます。CKDでは腸内細菌のバランスが崩れ(Dysbiosis)、有害な毒素の産生が増えるという悪循環も指摘されています。
1.2. 食欲調節ホルモンの乱れ
食欲は、「お腹が空いた」と感じさせるホルモン(例:グレリン)と、「お腹がいっぱい」と感じさせるホルモン(例:レプチンなど)のバランスで調節されています。
CKDのヒトでは、食欲を高めるホルモンが増えない一方で、腎機能低下により食欲を抑えるホルモンが体に蓄積しやすいことが分かっています。これにより、「お腹が空いた」という信号自体が弱まっている可能性があります。
1.3. 胃酸・胃炎の影響(従来の考え方と現在の理解)
- 従来の考え: 長年、尿毒症によって胃酸が出すぎたり(胃酸過多)、胃の粘膜が荒れたり(尿毒症性胃炎)、潰瘍ができたりすることが、食欲不振の主な原因と考えられてきました。
- 現在の理解:
- CKDの犬猫で胃酸過多や重度の胃炎・潰瘍が一般的という明確な証拠は少ないです。
- むしろ、CKD猫の胃では胃壁の線維化(硬くなる)や石灰化の方が顕著という報告があります。
- 消化管からの微量な出血が見られることはありますが、大きな潰瘍よりは、尿毒症による血小板機能異常などが関与している可能性が考えられます。
- このため、明らかな消化管出血の兆候がない限り、予防的な胃薬(胃酸抑制剤など)の使用は必ずしも推奨されません。
2. よく見られる消化器症状とその影響
- 一般的な症状:
- 食欲不振 (Dysrexia): 食べない、食べる量が減る、選り好みする、食べるのに時間がかかる、食べるのをためらうなど。
- 悪心(吐き気): よだれが多い、口をクチャクチャするなどのサインが見られることも。
- 嘔吐 (Vomiting)
- 結果として起こること:
- 体重減少
- 筋肉量の減少(削痩、悪液質 (Cachexia))
- 発生頻度: CKD猫の飼い主の約4割が食欲異常を報告し、その多くが食事を促す必要があったと回答しています。
- 予後との関連: 痩せていること(低いボディコンディションスコア、筋肉量の低下)は、CKDの犬猫において予後が悪い(生存期間が短い)ことと関連しています。CKD診断前から体重が減少し始めることも多いです。
- QOLへの影響: 食欲不振や体重減少は、動物の生活の質(QOL)を低下させる大きな要因であり、見守る飼い主さんにとっても大きな精神的苦痛となります。
3. なぜ栄養管理が重要か?
- カロリー不足: CKDの動物は、病気自体によってエネルギー消費が増えている(代謝亢進状態)可能性があり、食欲不振と相まって深刻なカロリー不足に陥りやすいです。
- 悪液質の進行: 栄養摂取不足に加え、ホルモンバランスの変化、代謝異常、炎症性サイトカイン、尿毒症(特にアシドーシス)なども筋肉の分解(異化)を促進し、体重減少や悪液質(筋肉量の減少)を悪化させます。
- 結論: 十分なカロリーと栄養をサポートし、筋肉量を維持することは、CKD管理において極めて重要です。
4. 食欲不振・悪心・嘔吐への対策(管理)
CKDに伴う消化器症状の管理は、原因への対処と症状緩和の両面から行います。
4.1. 栄養状態の評価が基本
- 定期的なチェック: 体重、ボディコンディションスコア(BCS)、マッスルコンディションスコア(MCS)を定期的に評価し、記録します(特に筋肉量の評価は重要)。
- カロリー摂取量の評価: 食事内容(フード、おやつ、サプリ等全て)と実際の摂取量を把握します。
- 個別プラン: 評価に基づき、個々の動物に合った栄養計画(食事の種類、量、給与方法など)を立てます。
4.2. 胃酸抑制剤の使用について
- 使用は慎重に: 前述の通り、CKDの犬猫で胃潰瘍や胃酸過多が一般的という証拠は少ないため、予防的な使用は推奨されません(特にIRISステージI〜III)。
- 適応: 基本的に、消化管潰瘍が臨床的に強く疑われる場合(例:吐血、黒色便(メレナ)など)にのみ使用を検討します。
- 注意点: 慢性的な使用の安全性は不明です。効果はプロトンポンプ阻害薬(PPI; オメプラゾールなど)の方がH₂ブロッカー(ファモチジンなど)より高いですが、ファモチジンは耐性(効果減弱)を生じることがあります。
4.3. 制吐薬(吐き気止め)の使用
- 目的: 尿毒症による悪心や嘔吐の管理に役立ちます。嘔吐による水分や栄養の喪失を防ぎます。
- 薬剤例:
- マロピタント (Cerenia®):
- 作用: NK-1受容体拮抗薬。脳(CTZ)と消化管の両方に作用。
- 効果: CKD猫での嘔吐抑制効果が示されています。悪心にも効果が期待できます。(ただし、食欲や体重への直接的な改善効果は限定的という報告もあります)
- 用法例: 1-2 mg/kg/日 PO または 1 mg/kg/日 SQ/IV。
- オンダンセトロン:
- 作用: 5-HT₃受容体拮抗薬。脳(CTZ)と消化管に作用。
- 効果: 尿毒症のヒトでは効果あり。
- 注意点: 犬猫では経口投与での吸収が悪く、効果時間が短い可能性。猫では皮下注射(SQ, 0.5-1 mg/kg)の方が効果が期待できます。
- マロピタント (Cerenia®):
4.4. 食欲刺激薬の使用
食欲不振が続く場合に、食欲を刺激する薬の使用を検討します。
4.4.1. ミルタザピン(猫)
- 効果: CKD猫において効果的な食欲刺激薬であり、体重増加も期待できます。制吐作用もあるようです。
- 副作用: 活動過多(興奮)、よく鳴くなど(用量依存性)。
- 投与量: 腎臓で排泄されるため、CKD猫では**少量(例: 1.87 mg 経口 48時間ごと)**が推奨されます。
- 経皮投与 (Mirataz®):
- 耳介内側に塗る軟膏タイプ。
- 食欲刺激と体重増加効果が確認されています。
- 経口薬より効果は穏やかですが、副作用は少ない傾向。
- FDA承認用量:2 mg を内耳介に24時間ごとに塗布。CKD猫でも投与頻度を減らす必要はないようですが、個体差を考慮します。
4.4.2. ミルタザピン(犬)
- 効果: 経験的には、猫ほど効果的ではないとされています。
- 理由: 犬では薬物動態が異なり、半減期が短い可能性があります。
- 推奨用量(参考): 0.6-1 mg/kg PO 12時間ごと、がより適切かもしれません。
4.4.3. カプロモレリン(グレリン受容体作動薬)(犬・猫)
- 作用機序: 食欲を高めるホルモン**「グレリン」の受容体に作用**します。これにより食欲中枢を直接刺激するだけでなく、成長ホルモン(GH)やインスリン様成長因子1(IGF-1)の分泌も促し、**筋肉量の維持・増加(同化作用)**にも寄与する可能性があり、CKDにおける食欲調節の乱れや悪液質という病態生理に合ったアプローチと考えられます。
- 薬剤名: 犬用(Entyce® 日本未発売), 猫用(Elura™ エルーラ™)。猫用は嗜好性を高めるバニラフレーバー付きです。
- 効果(猫 Elura™): CKDに伴う体重減少(5%以上)のある猫を対象とした56日間の臨床試験で、有意な体重増加効果が示されました(カプロモレリン群の83%で体重増加 vs プラセボ群41.5%、55日目での平均体重増加率 +5.2% vs -1.6%)。投与開始15日目には有意な体重増加が確認されています。
- 効果(犬 Entyce™): 健康な犬での安全性と食欲増進効果、および食欲不振の犬における食欲改善・体重増加効果が報告されています。
- 副作用(猫 Elura™): 最も一般的なものは嘔吐(32.2%)と流涎(よだれ)(21.2%)です。その他、下痢、高血糖などが見られることがあります。
- 流涎について: ヒトではグレリン受容体が唾液腺にも存在するため、流涎は薬理学的な反応と考えられ、必ずしも悪心(吐き気)を意味するわけではありません。投薬後に流涎が見られても、薬を吐き出しているわけではないため、再投与は不要とされています。投薬中止が必要になるほどの流涎は稀です。
- 高血糖・糖尿病について: 臨床試験で糖尿病を発症したのは1例のみ(投薬中止とインスリンで管理可能)であり、高血糖は多くの場合一過性で臨床的な意義は少ないと報告されています。ただし、糖尿病の猫では注意が必要です。
- 注意点(猫 Elura™): 先端巨大症には禁忌。一過性の徐脈や低血圧も報告されています。全身状態が著しく悪い場合(例:尿毒症クリーゼでの入院中など)の使用は避けるべきです。
- 用法・用量(猫 Elura™): 体重1kg当たりカプロモレリン酒石酸塩2mg(製剤として0.1mL)を1日1回経口投与。
4.5. 食道瘻チューブによる栄養補給
- 適応: 様々な食欲増進策を講じても体重減少が止まらず、適切な栄養状態を維持できない場合。
- 利点:
- 効果的かつ簡便: 食物、水分、薬を経管栄養チューブ(食道瘻チューブ)から確実に投与できます。
- QOL改善: 栄養状態の安定・改善、臨床症状の緩和、延命、飼い主の満足度向上につながる可能性があります。
- タイミング: 尿毒症や栄養失調が重度に進行する前に、早期に検討することが重要です。効果は早期の方が高くなります。
まとめ
慢性腎臓病(CKD)における食欲不振、悪心、嘔吐は、尿毒症毒素の蓄積や食欲調節ホルモンの乱れなど、複数の要因によって引き起こされる一般的な合併症です。これらは動物のQOLを著しく低下させ、体重減少や栄養失調(悪液質)を招き、予後にも影響を与える可能性があります。
管理の基本は、まず**定期的な栄養状態の評価(体重、BCS、MCS、カロリー摂取量)**です。その上で、原因療法(可能な場合)と対症療法を組み合わせて行います。
対症療法としては、**制吐薬(マロピタント、オンダンセトロンなど)**による吐き気のコントロール、食欲刺激薬(ミルタザピン、カプロモレリンなど)による食欲の改善、そして必要に応じて食道瘻チューブを用いた確実な栄養補給などが選択肢となります。特にカプロモレリン(エルーラ™)は、CKD猫において食欲増進と体重増加効果が臨床試験で示されており、食欲調節の乱れや悪液質に対するアプローチとして期待されます。胃酸抑制剤の予防的な使用は一般的には推奨されません。
個々の動物の状態に合わせてこれらの治療法を適切に組み合わせ、十分な栄養とカロリーを確保し、筋肉量を維持することが、CKDの動物とその飼い主さんのQOLを維持・向上させるために不可欠です。
(CKDの他の合併症や全体的な管理については、CKD概要記事や他の合併症に関する記事をご参照ください。)
- CKD概要・原因・ステージ分類・管理方針・モニタリング・予後
- 骨とミネラルの異常:CKD-MBDとその管理
- 消化器症状とその管理
- 水分バランス異常・便秘とその管理
- カリウム(K)バランス異常とその管理
- 高血圧とその管理
- タンパク尿とその管理
- 貧血とその管理
- 代謝性アシドーシスとその管理
犬と猫の慢性腎臓病(CKD)概要・原因・ステージ・管理方針・予後
CKDの合併症:骨とミネラルの異常(CKD-MBD)とその管理
出典
- Ettinger's Textbook of Veterinary Internal Medicine, 9th Edition
- 猫の慢性疾患による悪液質対策 佐藤雅彦先生 講演資料